(覚え書き) 私が入院する前に、どうしても立ち会いたかったこと、それはピックアップの巻き機を譲り受け、使い方など伝授していただくことでした。長年にわたり、日本のエレキギターの大切な底力となっていた企業の社長さんが引退を決意し、機器を処分するという話をねこだまり工房の代表である長男が耳にしました。2021年の9月下旬のこと。前々からピックアップに興味を持ち、いつか何か出来ないかと思っていたらしく(私は知らなかったけど)、すぐに飛びついてまずは2台譲っていただきました。 ピックアップの製造に取り組む工場長 基本操作を教えていただいて、試行錯誤の日々が始まりました。 そこからすぐに大きな決断をします。 残りの機材もうちが譲り受ける!と。 直近まで稼働していた機材だけでなく、倉庫に眠ったままになっていたものも含め合計で28台。 とても自分達だけでは運べません。 引き取りに行く場所は群馬県に近い長野県です。 名古屋からではかなりの距離もあります。 社長さんとスケジュール調整をし、11月の半ばに泊まり込みで技術も教えていただくことになりました。 最初に機材を受け取った9月から予定した11月の間に私は病気を発症して最悪の体調になってしまった訳ですが、どうしても行かなければいけない気がしていました。 道中は、山道の振動やちょっとしたことでも息が上がってしまったり、体に負担なのがダイレクトにわかるくらいだったので、慎重に・・・。 出迎えて下さった社長さんは、本当に気さくな方で、優しい笑顔と気遣いの塊のような方でした。私たちが家族揃って来たことも、驚きながらも喜んでくださり、休憩に使うといいよ!と、案内された応接室は、ステレオやオーディオ機材がずらりと並んでいて、昔から社員さんやお仲間とカラオケを楽しんできた場所だそうです。 事務所兼工場だった場所で、惜しみなく様々なことを教えていただきました。 社長さんが長年頼りにしていた女性の元社員さんも駆けつけて下さって、細かなことも手ほどきしてくださいました。 「ちょっと!このお兄さん、筋がいいわ!最初からこんなに上手なんてすごいわ!」と、うちの工場長が褒められていて(笑)しかも、『お兄さん』と、久しく呼ばれていない言い方をされて嬉しそうだったのも微笑ましかったです。 社長さんと元社員さんとそのご家族(送り迎えのため)とのやり取りも、関係性の良さがうかがえて、信頼関係で結ばれていたことがよくわかりました。社長さんの屈託のない笑顔やお茶目さがとても素敵でした。 その事務所は、活気づいていた日々がまるで昨日のことのように感じられる場所。 使い込まれた機材や器具。日の光が差し込む明るい窓ガラス、色褪せた椅子の上のクッション、電話に貼り付けてあるメモ、カレンダーの走り書き、ところどころ擦り減った床、そこで動き回っていた人たちの様々な光景が目に浮かびます。 1つの大きな時代を支えてきた人たちの息遣いが聞こえてきそうで、なんとも言えない余韻が感じられました。 私には、ピックアップのこととか、詳しいことはよくわからないけど、ここで生きてきた人たちの思いや重ねられた様々な歴史も受け取っていく覚悟を持たなくてはいけないと思いました。単なる好奇心や安易な扱いをしていいものでは、決してない!そんなことがあってはならない! やはりこの場に立ち会えて良かった、この空気感を肌で感じ取ることが出来て良かったと、心から思いました。 社長さんと一緒に記念写真をお願いしました。 なんだかこれからの歴史にとても重要な1枚になる気がしたのです。 とてもお天気の良い時で、遠くに見えた浅間山の噴気が忘れられません。 譲り受けたピックアップ巻き機たち ここからが、新しい挑戦の始まりです。慣れない機材、初めてのことばかりに四苦八苦の日々。 工場長は、もともと設計エンジニアです。高校卒業して大手総合電機メーカーに就職して設計のイロハを学んで、大手電子部品メーカーでは、パートの女性陣に、はんだ付けから組み立てのことまで叩き込まれたそうです^^ 設計機能の海外移転のために技術指導として何年かに渡り、海外勤務も経験していたり、長年設計エンジニアとして頑張ってきた経験が、まさかここで生きてくるとは!何事も無駄なことなんて何一つないんですね。 研究のため、限界まで巻いてみたり、ムチムチです。 辛抱強く、粘り強く、地道にコツコツ頑張ってくれる工場長の姿に、我が夫ながら誇らしく尊敬しています。家族みんなで新しいことに向き合い助け合っていけること、感謝しかありません。 ハムバッカーにも挑戦 ロゴを刻印したネコバッカ― 2022年の年が明けてからも、息子は社長さんと電話で連絡して実際に作ってみた、やってみたことを報告したり、部材の調達の相談にのっていただいたり、本当にお世話になりました。 痛めた腰が良くなったら、名古屋にも運転して遊びに行くから!とおしゃって下さっていたけど、まさかまさかの今年の6月に永眠されたそうです。 その知らせを聞いて、しばらく呆然としてしまいました。 またお会いできると、きっと名古屋にお越しいただけると・・・。 あの時お会いできていなければ、私は社長のお人柄も、あの空気感も知ることは出来なかった。 本当に本当に必然的なことだったと、ご一緒させていただけたことに心から感謝しております。 優しい話し口調、お茶目な笑顔、あの貴重なひと時は、心に焼き付いています。 私たちに機材を託してくださったこと、良かったと言っていただけるように、天国にも届くように、頑張っていきます。 安らかでありますように。 本当にありがとうございました。 byねこママ